こちら編集部〈24〉
「今浦島」は「大坂の陣」で盛り上がる

2015 年 2 月 20 日
編集長: おう、お早うさん。
見習い: あれ、編集長、まだいたんですか。
編集長: なんやと。ほんま近頃の若い奴は言葉の使い方を知らんな。それは夜に残業してる時とかに言うことやろ。わしは今来たとこや。
見習い: いえ、そういうことじゃなくて。編集長はてっきり定年退職したものだと思ってたんです。
編集長: 誰が定年じゃ。失礼なこと言うな。
見習い: でも、「こち編」は1年以上閉鎖されたままだったでしょ。だからてっきり。
編集長: 編集仕事に定年はないんや。わしは、ちょっと充電してたんや。
見習い: 1年4カ月もですか。
編集長: いや、竜宮城ではたったの3日……(パッカーン)、おお、久し振りの張り扇、懐かしの衝撃って、痛いわい。
女記者: いつ浦島太郎になったんですか。それならさっさと玉手箱開けて、お爺さんになったらって、もうなってるわね。
編集長: なってるか。ほんま久し振りやっちゅうのに失礼な奴ばっかりやな。それで浦島太郎の話やけどな……。
見習い: ええっ、そっちに行くんですか。
編集長: 乗りかかった船ならぬカメや。しかし、あの話は一体何を言いたいねん。普通、おとぎ話や童話は、真面目に働かなあかんとか、正直にしてたらええことがあるとか、教訓めいたものがあるやろ。浦島太郎の話にそんなんあるか。
見習い: カメはいじめたらいけないとか。
編集長: その助けたためにやのうて、助けたカメに連れられて竜宮城へ行ったところまではええわ。
見習い: 乙姫さんにご馳走してもらったんですからね。
編集長: しかし、タイやヒラメの舞い踊りが楽しいか(パッカーン)。痛いわい。
女記者: 唱歌に文句言ってどうするんですか。
編集長: 極めつきは玉手箱や。開けたらあかんと言われたら、開けたなるのが人情やないか。挙げ句の果ては、玉手箱の白い煙でいきなりお爺さんになってしもた。訳分からんわ。
明治43年から昭和24年まで、小学2年生の国定教科書に載ってたらしいけど、先生は何をどう教えたんやろな。
見習い: 乙姫さんは、玉手箱は絶対開けたらだめと言ったのに、浦島は開けたからお爺さんになった。約束を破ったらだめですよと教えたんじゃないですか。
編集長: しかし、絶対開けたらあかんもんを土産に持たすこと自体がおかしいやろ。それやったら最初から渡さんといたらええんや。玉手箱に限らず、箱やったら何が入ってるのかなと誰でも開けるがな。
女記者: 乙姫様はそれを見越して玉手箱を持たせたんじゃないですか。要するにあれはタイムマシンみたいなものでしょ。竜宮城で過ごした日数は僅かなものでも、地上では何百年も経っていた。浦島が育った家もなければ、親はもちろん知ってる人さえいない。そんな世界で生きるのは辛いでしょ。
編集長: せやけど一瞬にしてお爺さんやで。青春を謳歌することもなく、中年の充実を味わうこともなく、いきなり爺さんにするて、恩人に対してなんちゅう仕打ちや。恩を感じるなら煙の下から金銀財宝がザックザク出てきて、若い嫁さんもろて、いつまでも幸せに暮らしました。それを見ていた悪い爺さんが、自分もあやかろうと、私が助けたのは金のカメ……(ガッツーン)い、痛たた。
女記者: 勝手にしょうもない物語を作らないで下さい。
見習い: お二人ともブランクを感じさせませんね。それはともかく浦島さんは、その後どうなったんですか。
編集長: 鶴になって、亀になった乙姫さんと巡り会い夫婦の神さんになったとか、いろいろ説があるようやけど、どっちにしても長生きはせんかったみたいやな。かわいそうに。
見習い: 編集長も怪しい竜宮城には近づかない方がいいですよ。
編集長: どういう意味やねん。竜宮城には行かへんけど、大阪城には行くぞ。
見習い: 何ですかそれ。浦島太郎の話からいきなり飛躍しないで下さい。
編集長: 飛躍と違うわい。この話の流れ、名人芸と言うてくれるか。というのも今、大阪は大阪城を中心に「大坂の陣400年天下一祭」で盛り上がってるやろ。
女記者: 去年が「大坂冬の陣」から400年、そして今年2015年が「大坂夏の陣」から400年ということで、大坂の陣ゆかりの地で様々なイベントが行われていますね。
見習い: でも大坂の陣って、大坂城が陥落して豊臣家が滅亡した戦いでしょ。縁起が良くないんじゃないですか。
女記者: 確かに負け戦ではあるけれども、400年も昔の話で、その後大阪は発展を遂げたわけだし、節目の年に秀頼や淀君、真田幸村らを弔うという意味でもいいんじゃないかしら。
編集長: それにしても徳川方の冬の陣を仕掛ける口実は、難癖が過ぎると思わんか。
女記者: 秀吉が創建した京都東山・方広寺を、秀頼が再建した時のことですね。梵鐘の銘文に家康が激怒したという。
見習い: 何ですかそれ。
女記者: お寺を再建して梵鐘も新たに作ったんだけど、そこに書かれた沢山の銘文の中に、「国家安康」「君臣豊楽」という言葉があったわけ。それを知った徳川方は、前者は家康公の名を分断しており、後者は豊臣家の繁栄を願っている。徳川家に対する反感と呪いが込められていると怒ったわけよ。
見習い: へえ。「安康」とか「豊楽」なんて言葉は初めて聞きますけど、どちらも一般的な熟語なんでしょ。だとしたらいいがかりですよね。
編集長: 昔から名前を分けて書くことはご法度とされてたから、一概に難癖とは言えんという説もあるようやけど、それを言うたら「君臣豊楽」は、「豊臣」が反転してるから、繁栄どころか転覆と取れんこともない。必ずしも恨み家康一辺倒でもないと言えるわけや。しかしどっちにせよ、「国家安泰」とか「万民福寿」とか、当たり障りのない字を選んでたらつけ込まれへんかったやろうにな。
女記者: でも、家康が秀頼に方広寺の再建を勧めたのは、何も秀吉の霊を弔うわけでもなく、豊臣方の財力を弱体化させるためでしょ。その上で討とうというわけですから、いずれ戦を仕掛けてたでしょうね。
編集長: 冬の陣の和睦でも、二の丸と三の丸の取り壊しと外堀の埋め立ては決まったけど、豊臣方は自分らでえっちらおっちらとやって時間稼ぎしようと思てたのに、徳川方が「手伝います」とかいうてあっという間に終わらせた。おまけに勝手に内堀まで埋めてしもたそうやないか。完全に次の戦を念頭に置いてるわな、家康は。
女記者: 夏の陣では、真田幸村らに追い詰められて九死に一生を得た場面もあったそうですが、結局は多勢に無勢で勝利を収めました。その翌年に家康は74歳で亡くなっていますから、年齢のことを考えても、自分の目の黒いうちに豊臣家を根絶やしにしたかったんでしょうね。
編集長: それで嬉しさのあまりタイの天ぷらを食べ過ぎてしもたんかな。大将軍には似つかわしない最後やった。
見習い: え、家康ってそんなことで亡くなったんですか。
女記者: 俗説よ。その年の1月にタイの天ぷらで食中毒になったのは事実らしいけど、亡くなったのは4月。食中毒が原因で3カ月後に死ぬなんて考えられない。胃癌だったという説が有力ですね。
見習い: へえ、お二人共詳しいですね。今流行りの「歴爺」と「歴女」ですか。
編集長: 誰が爺やねん。こんな話、歴史好きでのうても知ってる。それをさも貴重な情報かウンチクのように言い立てる……(グッシャーン)い、痛たたた。
女記者: 自分のやってることを自ら貶めてどうするんですか。
編集長: いや、謙遜したつもりや。上杉謙遜ちゅうたりして……(ズンッ)張り扇で突くな。痛いわい。それやったら叩かれる方がましや(ゴワッシャーン)。やっぱりそうきたんやね(バタン)。